平成16年10月の23号台風から2年、その後の状況

world-hoken2006-10-10

平成16(2004)年10月20日〜21日にかけて、京都府北部に襲来した台風23号は各地に甚大な被害をもたらしました。
20日当日、私は3ヶ月に一度の定期健診の為、市内のM病院に昼12時の予約で雨の中、訪院いたしました。何時もなら
病院は待合室に一杯の人ですが、その日は10数名だけでラッキーと思いながら採血や一通りの問診を受け、終了しました。
その日東舞鶴方面でも2,3件訪問の案件がありましたが、あまりにも激しく降り続く雨に、早々に帰宅する事にしました。
2時過ぎ、途中、西舞鶴の○食堂で遅い昼食を済ませ神崎まで帰宅の途につきました。途中の東雲直線道路で余にも強風で
車が吹き飛ばされそうな状況で何とか神崎に帰宅いたしました。事務所階段を上がると、北側ガラスが突風の度に反ってしまい、多分割れるとあきらめました。(なんとか持ちこたえた)
夕刻7時30分頃、近所の親戚から、主人が3KM手前で道路冠水の為、帰って来れれないとの情報が入り、深刻な状況が
初めて判りました。午後9時過ぎ、テレビに『大川橋上流で観光バス立ち往生、乗客救助に警察、自衛隊が向かう』とのニュース速報が流れました。やがて停電、時折、車のカーテレビで状況確認、、、、夜中も30分置に防災無線が『今、警察と自衛隊が救助に向かっている、頑張れ』と繰り返し(朝まで)呼びかける。自宅は北風の突風で家全体が揺れる状況、朝まで
強風は続いた。朝、携帯電話が2,3回鳴り連絡が付いたが神崎にあるアンテナに電源が入っていない為、つながらない状況、事務所の電話も不通状態が21日午後9時過ぎまで続いた。22日、神崎までの府道は材木や大きなゴミで走行が出来ない状況で、
建設業者がブルで一車線のみ確保に奔走してる状況であった。京都府で15名の死亡があったがその内の2名の方が弊社の保険契約者であった。心からご冥福をお祈りいたします。23日(土)AIUの京都、大阪からアジャスター、アーキテクトサービスの5名がカタログでしか見たことの無いAIUのマークが入ったパジェロでかけつけ、舞鶴宮津方面に分かれて調査をしてくれ、翌週の29日(金)には死亡事故を除く全ての支払い完了してくれた。大変有難かった。後日、20日に昼食を
した○食堂はテーブルまでの浸水、東雲の直線道路では水かさが上がり、ご主人と携帯をつなぎながら、『流されるー!どうしたらよいやー』と叫びながら切れたとの事であった。約200M南の田んぼに車と遺体が発見された。又、宮津のOさんは
小学校の同窓会の帰り、自宅まであと100Mの所で流され尊い命を失ってしまった。  合掌  
当時の様子と今の状況を貼り付けています。  写真提供者 神崎小校長甲斐島俊雄氏、西神崎西村利和氏、志高永野卓馬氏の各氏からご提供頂きました。一部舞鶴市発行災害記録写真集からデジカメにて撮影しました。
航空写真はサンケイ新聞社より提供を受けた。拡大写真(バスまで見える)が必要な方ご連絡下さい。メールにて転送いたします。
         
                         2006,10,10 第23号発行