6月3日(土)水道週間に伴い、一般公開された水道施設に行って来ました。

world-hoken2006-06-04

場所は舞鶴市与保呂、地区住宅が無くなってから200,300M奥にありました。
途中の水道施設からなを300M先の急勾配の場所にありました。
市水道部の説明文書によりますと、この堰堤(えんてい)は舞鶴鎮守府の軍用水道
施設として明治33年(1900年)に築造され、翌年明治34年(1901年)
鎮守府開設と同時に通水を開始した。
コンクリート造りでは国内でも初期の事例であり、水門や放流部にはレンガを用
いるなどデザインにも優れ、近代土木技術史上貴重な建造物です。
堰堤下部にある水門のアーチ中央には『M』を2つ重ねた海軍のマークが刻まれ、
その上部には舞鶴出身で海軍中将となった伊藤雋吉(いとう としよし)の
『清徳霊長』の文字が刻まれています。

構造 石貼コンクリート 規模 基礎幅 17.0m  天端幅 2.2m
   高さ 12.4m 長さ 43.6m      貯水量 8,000M3
◎伊藤雋吉(いとう としよし 1840〜1921年)
 舞鶴市内で生まれ、明治8年(1875年)日本人だけの相艦ぬよる海軍初の
 遠洋航海において練習艦『筑波』の艦長として太平洋を横断。
 海軍次官貴族院議員を歴任
◎『清徳霊長』、、、「清らかな恵みである水は、霊妙不思議な力を持つ優れ
           もにだ。」の意味
           
                  
  京都で同友会支部長会議4時22分発の特急乗り遅れ、6時からの会議
  に間に合わず、7時30分頃ようやくたどり着いた。 
               

                2006年6月3日(土)第14号発行